第15回 『高校時代、バンド生活』

リンドバーグ、最近仕事場でよく流れてます。
活動当時はあまり聞きませんでしたが、好きな方です。レンタルしてまた聴きたい
な〜、と思っている今日この頃です。

さて、どんな事でもそうなんですが、接していけばいく程知識が広くなるものです。
仕事でもそうですし、恋愛も・・・。
好きな人と付き合って接していけばいく程、その人の本質が分かってきます。
いい面も嫌な面も。嫌な面も分かってしまう、というのはいい気はしないかも
知れませんが、それも現実、好きならそれを受け入れるのも必要です。といった意味
で好きな物があるならどんどん接した方がいいと思います。

高校生活に入り、シンセサイザー、バンドに興味を持ち始めました。高校受験で
もともと嫌な勉強をさらに嫌という程やったので、勉強の方はしばらくがんばろうとは
思いませんでした。
しばらくどころか、3年間がんばってませんでした・・・。
この3年間こそ音楽の事、恋愛の事しか考えてなかったような気がします。

まずシンセ、キーボードとは何か違う、て事は分かってましたが、どう違うのか
分かってませんでした。
まあ値段が高く、いろいろできるんやろな〜、というくらい・・・。(僕なりの
キーボードとシンセの違いの論述は過去のコラムを参照してください、第何回だった
かな〜、3回目くらいでしょうか・・・)
まずはシンセのカタログを片っ端から集めて研究してました。シンセについて述べて
ある本を買ったりもしました。
でもさっぱり分からん・・・。
んでもって、シンセてボタン多いな〜!といった感じです。あれこれ考えても仕方
なかったので、楽器屋さんに買いに行きました。
今自分がどんな事をやりたいか、を伝え、どんなシンセが良いか?直接聞いた
結果、当時店頭販売されていたKORGというメーカーのM1というシンセに
決まりました。
見てびっくりしたのが、多いだろうと思ってたボタンの数がかなり少ない!使い易そう
でした。
後々知ったのですが、M1というシンセ、わりかし有名で発売当時はかなり人気が
あったそうです。
分かります、以前コラムでも述べましたが、シーケンサーが内臓されており、一台で
曲が作れる当時では珍しい、というか初(?)「ワークステーションシンセ」だった
のです。内臓されてるシーケンサーは記憶できるメモリーがめちゃめちゃ少なく
今では全く使いませんが、音色は好きで、使い易くいろいろ音が作れるので、今も
ずっとM1を使ってます。
僕がAFBのライブで時々使うキーボードがそれです。あれがM1です。決して漫才の
グランプリではありません・・・。

シンセも買い、使い方が100%分かってる訳ではありませんでした(ちなみに今も
100%分かってないです。)が、必要最低限の知識を得る事はできました。
後はバンドを組む事!一番重要な問題です。
シンセ1台でもいろいろ遊べて一人で楽しめるのですが、やはり音楽好きの仲間と
集まって演奏したい!というのが夢でした。
しかし悲しい事に僕が行ってた学校には軽音楽部がない状態・・・。いきなりピンチ
だった訳です。 シンセを買ったのが高1の夏で、その直後だったと思います。3人の
クラスメイトから「バンド組まへん?」と誘われました。
一人はヴォーカル希望、もう一人はドラム希望、そしてもう一人はギター希望の友達
でした。
その頃、その3人とは少し話するくらいで、僕は彼らとはまた違う友達集団に属して
ました。なので、少し意外でびっくりしました。
「今ベースがいないから、とりあえず山口はベースでいいかな〜?」と言われたので、
「キーボードならできるよ!」と返しました。
「キーボードな〜!それでええわ!んじゃ頼むわっ!」となり念願のバンド活動が
スタートしました。

バンドの目標は高校の文化祭でライブをする事(青春ですね〜!)、あとモテる事(笑)
やはりあの頃、バンドを組む、て事だけで優越感に浸ってた訳です(汗)でやっていく
内に思う訳ですね!
バンド組んでいようがいまいがモテる奴はモテる、モテない奴はモテない!て(笑)。
言うだけ無駄ですが、僕は後者です。

高校生活3年間、そのバンドを組んでました。
3年間いろいろありました、ほんとに!
高2になった時、二人のメンバーが「俺ら抜けるわ〜。」と言ってきました。どうやら、
僕の知らないトコでメンバー同士イザコザがあった様子。
残り2人になった俺たちは、楽しむ感じでセッションしてました。
同時に別のバンド(BON JOVIのコピーバンドでした)から「キーボード弾いて
くれへん?」と頼まれ、バンド二つ掛持ちしてました。
で、しばらくすると抜けた二人が帰ってきました(時間が経っていつの間にか
ワダカマリがなくなるのは良い事です)。
この頃、もともとドラム希望やったメンバーがギター担当になっており(後の初代AFB
のギター誕生です)、ヴォーカル・ツインギター・キーボードのバンド編成になって
ました(ベースとドラムは打ち込みといったカタチです)。
高校3年になると「やっぱドラムとベースは必要やろ〜!」という事になり、片っ端
から音楽が好きでドラムやベースをしてくれそうな人を探しました。
ドラムをしてくれる人も見つかり(彼はホントがんばってくれてたと思います!)、
ベースも当時ギターやヴォーカル君らの部活仲間である植盛に決定。

ここでようやくバンドが安定し、本格的に活動できるようになった訳です。
そして後のAFBのベーシストとなる植盛との出会い・・・。
ここで区切りが良さそうなので、今日はこの辺で・・・。



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